さらけだせる?
偽りのない自分を見せることはできますか?
無理っす。精神的に病んでてカウンセリング受けるときにでもむりぽでしたから。
人間は社会の中に生きている社会的生物なので、役割を演じて生きるしかないようにもう歯車の一員にされてしまっているのです。
そして、そこから外れると落伍者の烙印を押されてしまうのです。
職業は何?とか。
あまり人がいない時間帯と場所でウロウロしているだけで職質にあうみたいに。
さらざんまい2話みました。
1話の衝撃(かっぱ化するところが特に)に比べたらちょっとは耐性つきましたが、なんか色々ぶっ飛んでます。
野菜とか。(おおあささんだよね?)
あとチャカも。
さらっと犯罪いっぱいだし、ホモだし。
で、謎のミュージカルはじまるし。
ツッコミ入れながら深読みしてる人も多いでしょうが、そこはさらっといきましょう。
色々深読みはできるけども本質は単純なんじゃないかと思うわけです。
さらけだせる?
でもその先は?受け入れられる?許せる?みたいな。
これ、承認のユリ熊でもやってたよね。
監督はこれを作ることで特殊な人間なんて本当はいなくて、みんな受け入れ先を探している的なことを暗に言いたいんじゃないか?と深読み。
本人もコレの受け具合で自分を計っている気がしないでもない。
ほんものをしるたび
知る旅、度?
本物、ほんもの。
僕たちは本当は何も知ってはいないのです。
自分のことすら全てをわからずに他人のことばかり知ろうとする。
それは繋がるため?
弱い糸を縒り合わせて強くするようにお互いを求める。それが絆と呼ばれるものです。
なんて語ってみましたが、そんな感じ。
さらざんまい始まりましたね。
1話みました。ツイッターでも語ってます。
繋がりがキーワードねぇ。
なるほど。
私は12年前から考えてる物語を今年ようやく書くことにしました。
本物がキーワード。
それって本質突いてるの?
みたいな。
皆偽物に惑わされて自分が無さすぎ問題。
自分のことも分からずに騙されて死んでないかい?って。
もっと教育に力入れろよ!
それに教わる人間も選んでいいんだぜ!
もっと意見言い合える環境作ろうぜ!
が元にある。
私が学びたかった理想の学校を机上で組み立てておりまする。
ここでも制作過程語るよ!
乞うご期待。
グローバルってなんだ?
グローバル、英語で言うとglobal。
全世界的なとか国際的なとかそんな意味。
でも、なんかこの言葉に違和感。
意味だけ軽く考えて使ってない?
何がグローバルだ。
この言葉に託けて好き勝手なことやってるのが今の日本にないだろうか?
本当にグローバルしてるところはこのスローガン掲げないからね。
目の前のことをきちんとこなしていくのと真のグローバルに繋がるんじゃないか?と個人的に思うわけで。
ボランティアにも同じことが言えるだろう。
目の前に起こっている事実に目を向ける。目を逸らさない。
これが人間的にも出来た人だと言えないだろうか?
個人的には何にもまだよくわかってない。だから書くのだ。
それが私のグローバル。